岐阜県のどこそこのゴミ焼却施設で爆発事故が起こった。そんなニュースを聞いたのは、確か今朝だったな。
今朝のニュースと言やぁ、今年の入梅は例年に比べて遅れるとかって言ってたっけ。
開け放たれた扉から入り込む風が項を撫で、思わず双眸を閉じる。湿気を含んではいるが、ないよりはマシだ。
例年に比べて…
ここ数年、こんな言葉ばかりを聞いているような気がする。
例年に比べて早いとか遅いとか…
そもそも例年ってのは何なんだ?
薄く瞳を開き、背凭れに身を預けて足を伸ばす。風が髪を弄ぶ。伸びた前髪を掻き揚げて、再び瞳を閉じた。
辺りを流れる時間と同じように、ゆったりと長い足を組む。
だが、そんな至福とも思えるひとときは、そうそう簡単に手に入るものではない。
「何笑ってんだ?」
剣呑な声音。思わず口元を押さえる。見開く先で、小バカにしたような瞳が上目遣いで向けられている。
「笑ってたか?」
「気付きもしなかったのか」
変態だな と付け足して、相手は再び視線を落した。
「変態はないだろう?」
ため息混じりに肩を落とし、身を乗り出して片手を机に頬肘をつく。だが、相手はそれに応じるつもりはないらしい。
聡も無理に口を開かせるつもりはない。相手は美鶴だ。こちらが無理強いをすればするほど、頑なに拒む。いくら単純な聡でも、いい加減わかっているつもり。
それに……
美鶴の背に広がるガラスが、すこし怪しげな空模様を透かしてみせる。一雨くるだろうか。
それも構わない
そうなれば、もっと長く二人で過ごすことができる。
二人で……
口元に笑みが浮かぶのを、今度は自身も自覚する。堪えようにも抑えきれず、思わず下を向いた。美鶴は、気付いていないようだ。
盗み見るように視線を投げる先で、黙々と教科書へ視線を落す。まるで執着するような身の入れよう。嫉妬心すら湧いてくる。
そんな自分に、我ながらうんざりもする。
みっともねぇ
そう自覚はしているのだ。なのに、なぜだかどうしても抑えられなくなる。
きっとここにもう一人いたら、聡はこう平静ではいられない。
いつもなら居るはずのもう一人。そいつがいると、どうしても心穏やかではいられなくなる。相手が冷静であればあるほど、焦ってしまう。
山脇瑠駆真。もっか聡の恋のライバルであり、しかもかなりの強敵。博識で冷静。校内でもかなりの女子生徒を虜にしているが、本人眼中只一人。
美鶴への想いが只ならぬものであることを、聡は先日思い知らされたばかり。
どんな時でも冷静さを失わない彼が、発狂するほどに取り乱した姿を目の当たりにして、驚きとともに苛立ちも感じた。
すぐに声を荒げてしまう聡に対して、常に物静かで沈着に対応する瑠駆真。聡は引け目を感じながらも、どこかで優越も感じていた。
美鶴に対する情熱だけは、アイツには負けねぇ
だが、瑠駆真がその心内に秘める熱い想い。それを見せつけられ、確信に揺らぎが生じた。
俺は、勝てるだろうか…?
そう疑問視する自分に頭を振る。
俺だって、譲れない
ずっと… 抑えてきた。伝え損ねて一度は諦めかけた。奇跡のように再会できたのに、今さらもう諦めるなんて、できない。
見つめる先で揺れる前髪は短く、横を耳の後ろで留め、スッキリと顔を曝け出す。軽い毛先が風に遊ぶ。
髪の手入れなどに無頓着なのが、返って美鶴らしくてホッとする。
時間って、止まらないんだよな
口にしたらアホだと一蹴されそうな言葉をボンヤリと思い浮かばせながら、心ゆくまで美鶴を独り占めしている己の立場に笑わずにはいられない。
瑠駆真は、今日はここには来ない。この、美鶴が霞流とかいうキザな男から借り受けている駅舎には、来ない。
長身の黒人と一緒に下校するのを、数人の生徒が目撃している。お節介な女子生徒が、ワザワザ聡に報告に来たし、同時に美鶴の耳にも入った。
メリエムという女性で、瑠駆真がアメリカに居た時の知り合いなのだと、美鶴がつまらなさそうに説明してくれた。
なぜ美鶴がそこまで知っているのか、些か腑に落ちない。だが、あまり問い詰めると不機嫌にしてしまいそうで、追求は断念した。
せっかく二人で過ごせるというのに、そんなつまらないことでイザコザを起こしたくはない。
アイツは今日は来ないんだ。
それは全くの勘。だが聡は、かなりの自信を持っている。
アメリカからワザワザ瑠駆真に会いに来たんだ。ヤツがどうあれ、彼女の方がそうそう簡単に離れたりはしないだろう。
話すこともあるだろうし、今日はこっちには来れねぇだろうな。
再び視線をガラスの向こうへ。
雨アメ降れフレの言葉が頭に浮かぶ。
雨が降り出せば、女子生徒も来ないだろう。
口に出せば自惚れとバカにされるかもしれないが、聡の校内での女子生徒に対する人気は、高い。
かなり高い。
先に出てきた山脇瑠駆真と人気を二分していると言っても、過言ではない。
それもまぁ 悪い気はしねぇけどな……
複雑にため息をついて、目の前の美鶴へ視線を移す。
ファンクラブまで作って好意を寄せてくれるのは、それはそれでありがたい。だが、彼女たちが美鶴へ敵意を向け、毎日のように事荒げるのには、正直うんざりする。
聡がどんなに説得しても、女子生徒たちは諦めてくれないし、美鶴は美鶴で、そんな女子生徒たちの存在に眉を寄せ、原因は聡にあると憤慨するばかり。これでは美鶴の好意を引き寄せるどころか、逆に嫌われかねない。
もっともそれを言うなら、山脇瑠駆真も同じ立場なのだが……
そもそも美鶴は、校内でもっとも有名な嫌われ者。成績優秀を鼻にかけ、傲慢不敵なその態度で辺りに不快を撒き散らす。まさに校内のトラブルメーカー。
だが当の本人は、自分の存在で周囲が不快感を募らせるや、それを面白いとすら思っている。
趣味悪いなぁ〜
そう思いながらも、美鶴への想いが募るのは、本当の彼女を知っているから。
………… 本当の美鶴は、そんなんじゃない
聡はそれを信じている。
昔、美鶴がこの唐渓へ入学して黙って引っ越してしまう前………
その頃の美鶴は、もっと明るくて楽しいヤツだった。
母親の水商売なんてのにも全然引け目を感じてなかったし、成績の低さを気にすることもなかった。
よっぽど、ショックだったんだな……
美鶴を変えたのは、一つの失恋。
恋破れただけならまだしも、親友が密かに付き合っていたという事実にかなりのショックを受けたらしい。
以後、美鶴は変わってしまった。
俺の言い方がマズかったのかな……
そんな後悔の念が軽く頭を過ぎったと同時。
サ――― ……
美鶴も思わず顔を上げる。
降ってきたな
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